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いつく嶋(広島大学所蔵)

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あらすじ

天竺東城国の「せんさいわう」(善哉王・千才王)の妻となった足引宮は、父大王の后たちから嫉妬され、「せんさいわう」の留守中に山中に連れ込まれ、命を受けた武士たちの手で斬首される。首は「せんさいわう」の母后のもとで手厚く弔われた。
さて、姫は斬首の直前に王子を産み落としていた。王子は、首を失った母姫宮の遺骸に取りすがり、山中の動物たちに助けられて成長する。
 足引宮を失った「せんさいわう」は悲しみに暮れるが、「こひしくはにしをたつねよ」という「ゆふつけのうら」の歌に従って山に入る。その夜の夢に足引宮があらわれていきさつを語り、王子がこの山にいること、また自らの蘇りのことを告げた。
(広島大学本は、これ以後のみ現存)
夢告のとおり、「せんさいわう」は王子と出会うことができた。
 足引宮を蘇生させようとして、王子が持っていた彼女の遺骨をかいらい国の「ふろう上人」のもとに運ぶが、首が失われているために再生できない。王子は上人から渡された剣を手に東城国の父后たちのもとに赴き、その999人の首を切り落とした。ただ足引宮の首を手厚く弔った「せんさいわう」の母后だけが生き残り、足引宮の首を取り戻すことができた。
 早速かいらい国に戻ると、「ふろう上人」によって蘇生の修法が執り行われ、足引宮はもとの姿に蘇生する。上人は3本の剣を投げて親子3人の住むべき地を示し、「せんさいわう」親子は剣の示した「しやからこく」に内裏を新造した。しかし何と思ったか、「せんさいわう」は足引宮の妹に心を移してしまった。これを恨んだ足引宮は飛び車に乗って日本に至り、伊予国の石鎚山から安藝国佐伯郡に移った。
 同じころ安藝国には、罪によってこの地に「さいきのくらもと」が流されて来ていた。「くらもと」は海上の船に足引宮を発見、「くろますのしま」に宮を招く。宮はこの島を「いつくしきしまなり」として、厳島と呼ばれるようになった。またその跡を追って「せんさいわう」、王子、上人、五烏、「せんさいわう」の母后が、それぞれこの地に垂迹、また「さいきのくらもと」も神となった。

解題

人間としての神の前世を説く、いわゆる本地物の一種。これは厳島神社の神々の本地を題材としており、『厳島の本地』とも称する。天竺・西城国の王女・足引宮と、彼女と関わりを持った人々が、天竺での苦難・転変を乗り越えて日本に到来、やがて厳島で神として垂迹する、という物語である。作品の成立に関わって、同じく本地物の一種である『熊野の本地』との似通いが指摘されている。両者は単純な一方通行の影響関係ではなく、「数次にわたる相互の影響関係があった可能性まで視野に入れ」る必要がある、とも言われる(『中世王朝物語・御伽草子事典』のうち、川崎剛志氏執筆「厳島縁起」の項)。
 諸本はA・B二系統に大別され、A系統は梅沢記念館蔵絵巻と明暦二年版本。対して、江戸時代に広く読まれたのはB系統の本文を有する諸本である。ここに紹介する2本はいずれもB系統に近い本文で、詳細な位置づけについてはなお検討の余地を残すが、近世において広く流布した本文の姿を知ることができるものと言えるだろう。


     広島大学蔵『いつく嶋』(写本)

 巻子一軸の残欠本。巻軸は象牙、組紐がついている。料紙は、金泥及び青色で山水花鳥模様の下絵を描いた鳥の子紙を使い、縦32センチメートル、横49センチメートルを継いで巻子としている。表紙は、藍色地に金泥で水辺草を描いている。奥書はなく、書写者・書写年次は判然としないが、筆跡その他の状況から、近世初期のものとみられる。
 上巻は全部佚し、下巻の一部、「せんさいわう」が山中で王子に出会う場面からあとの部分が残っている。B系統の諸本のうち、続群書類従本に最も近いか。

(森下要治広島文教女子大学助教授による)

(c) 広島大学附属図書館 2003